姫路城はなぜ400年以上残った?木造架構・漆喰・石垣・防御動線を建築目線で解説

名城建築深掘り

姫路城の建築の特徴

白く美しい外観から「白鷺城」とも呼ばれる。さらに、姫路城は日本の城郭の中でも高く評価されている。

観光地として見ると、その優美な姿にまず目を奪われます。

しかし建築の視点で見ていくと、姫路城の面白さはまったく別のところにあります。

巨大な木造建築を支える柱と梁。
火災や雨風から木部を守る漆喰。
建物を支える石垣。
敵を簡単に天守まで到達させない複雑な配置計画。

つまり、姫路城は、単に「美しい城」なのではありません。

構造・耐久性・防火・防御・意匠を一つの建築にまとめ上げた、巨大な木造建築システムなのです。

今回は施工管理の経験を踏まえながら、

「なぜ姫路城は400年以上残ることができたのか?」

という視点で、その建築を読み解いていきます。


姫路城とはどんな建築なのか

現在の姫路城の中心部分は、関ヶ原の戦い後に城主となった池田輝政によって整備されました。

さらに、この整備は大規模に行われました。

1601年に大改築が始まり、1609年に現在につながる連立式天守が完成しています。1993年にはユネスコ世界文化遺産に登録されました。

大天守は、

  • 外観:5重
  • 内部:地下1階+地上6階
  • 建物高さ:約31.5m
  • 天守台石垣:約14.85m
  • 大天守を支える大柱:約24.6m

という巨大な木造建築です。

さらに世界遺産を構成する建築群は大天守だけではありません。

UNESCOの資料では、姫路城は83棟の建築物からなる城郭建築群として評価されています。

ここが、まず姫路城を見るうえで重要なポイントです。

姫路城は「大きな天守が1棟建っている建築」ではなく、多数の建築・石垣・城壁・門・通路が一体となった巨大な施設なのです。


1.姫路城最大の特徴「連立式天守」

姫路城を建築的に見るなら、最初に注目したいのが「連立式天守」です。

大天守の周囲には、

  • 東小天守
  • 西小天守
  • 乾小天守

という3つの小天守があり、それぞれが「渡櫓(わたりやぐら)」と呼ばれる建物で接続されています。

4棟の天守と4棟の渡櫓が、ほぼロの字状につながる構成です。

これは現代建築に置き換えて考えると面白い構成です。

一つの巨大な建物をつくるのではなく、複数の建築物を連結しながら、一つの複合施設として成立させています。

しかも、その接続部分である渡櫓自体も防御施設として機能します。

つまり、

建築の配置そのものが防御システムになっている。

これが城郭建築の大きな特徴です。

現代建築では、「構造」「動線」「デザイン」を別々に考えることがあります。

しかし姫路城では、

構造・動線・防御・外観がほぼ一体化している。

ここが非常に面白いところです。


2.高さ30mを超える木造建築をどう支えているのか

現場経験のある人が姫路城内部を見ると、外観よりもむしろ柱や梁に目が行くのではないでしょうか。

大天守の建物高さは約31.5m。

現在の住宅で考えれば、およそ10階建て前後の建物に相当する高さです。

それを鉄骨でもRCでもなく、木造でつくっています。

中心的な役割を果たしているのが、

東大柱と西大柱

という2本の巨大な柱です。

姫路市によると、大柱は長さ約24.6m。根元付近の直径は約95cm、上部でも約42cmあります。

さらに面白いのが柱の構成です。

公式ガイドによれば、東大柱は1本の長大材を使用し、西大柱は3階付近で2本の材を継いで構成しています。2本の大柱は各階の横架材と組み合わされ、巨大な架構を形成しています。

現代の木造住宅とは規模がまったく違いますが、

「柱だけで建物を支えるのではなく、柱・梁・床・小屋組を組み合わせて建物全体を成立させる」

という考え方そのものは変わりません。


3.巨大な柱があれば建物は強い、というわけではない

ここは少し施工管理的な視点で考えてみます。

姫路城を見ると、

「こんなに太い柱を使っているから400年以上残った」

と思ってしまいがちです。

しかし建物は、柱1本だけでは成立しません。

荷重は、

屋根
↓
小屋組
↓
梁
↓
柱
↓
礎石・基礎
↓
石垣・地盤

へと伝わっていきます。

つまり重要なのは、

建物全体で荷重をどう地盤まで伝えるか

ということです。

姫路城の昭和の大修理資料には、大天守の柱の傾斜、沈下、軸圧力、石垣や礎石まで調査した記録が残されています。

これは現代の建物でも同じです。

屋根だけを見る。
柱だけを見る。
基礎だけを見る。

のではなく、

「屋根から地盤までどう力が流れているか」を見る。

建築を見るうえで非常に重要な考え方です。


4.姫路城が真っ白なのは、デザインだけではない

姫路城最大の特徴といえば、やはり白い外観でしょう。

この白さをつくっているのが、

白漆喰総塗籠造り

です。

柱などの木部を露出させず、壁だけでなく軒裏、垂木、破風などにも漆喰を施しています。

さらに姫路城では、瓦の継ぎ目にも漆喰が施工されています。

そのため城全体が白く見えるのです。

しかしこれは、単なる意匠ではありません。

漆喰には、

防火・防水・防風

という機能があります。

ここに姫路城の建築としての面白さがあります。


5.「美しいから白い」のではなく、「必要な性能」が美しさになった

私はここが姫路城の建築で特に面白いところだと思います。

木造建築最大の弱点の一つは火です。

城は戦闘施設ですから、火矢などによる攻撃も想定しなければなりません。

そのため木部を可能な限り漆喰などで覆う。

すると結果として、城全体が白くなる。

つまり、

防火性能を高めるための施工方法が、そのまま姫路城のデザインになっているのです。

現代建築でも、本来優れた建築は同じです。

雨仕舞。
構造。
断熱。
日射。
メンテナンス。

こうした「必要な性能」を丁寧に解決した結果として、美しい建築が生まれる。

姫路城にはその考え方が非常によく表れているように感じます。


6.複雑な屋根は何のためにある?

姫路城を見ると、屋根が何重にも重なっています。

しかし施工する側から考えると、かなり大変な建築です。

屋根が増えれば、

谷部分
取り合い部分
棟部分
壁との接続部分

など、雨仕舞上の弱点になり得る部分も増えます。

現代住宅でも同じで、単純な切妻屋根と複雑な屋根では、施工難易度も維持管理の難しさも変わります。

400年以上前にこれだけ複雑な屋根をつくり、それを維持してきたこと自体が非常に高度な仕事だったことが分かります。


7.姫路城は「建物」ではなく巨大な防御装置

姫路城を建築的に理解するには、大天守だけ見ていてはいけません。

城全体の配置を見る必要があります。

姫路城には、3重の螺旋状に防御線を構成する巧妙な縄張があります。

門を一つ通ったら、そのまま天守まで一直線。

という単純な構成ではありません。

曲がる。
門を抜ける。
方向を変える。
狭い通路を通る。

それを繰り返しながら天守へ近づいていきます。

攻める側からすれば、非常に厄介です。

しかも移動している間、

櫓
城壁
狭間
石落し

などから攻撃を受ける可能性があります。

UNESCOも姫路城について、高度に発達した防御システムと防御装置を備えた城郭建築として評価しています。

つまり姫路城では、

人間の動線そのものが建築設計の一部

なのです。

現代で言えば動線計画ですが、その目的が「使いやすさ」ではなく「敵を迷わせること」。

同じ建築計画でも目的が違えば、正反対の空間になります。

非常に面白い部分です。


8.石垣は巨大な木造建築の「基礎」

天守を見ると、どうしても上の木造部分に目が行きます。

しかし施工の視点なら、その下も見逃せません。

巨大な大天守を支えているのは石垣です。

大天守部分では約14.85mもの高さがあります。

現代なら、

地盤調査をして、
杭を検討して、
鉄筋コンクリート基礎を施工して……

という考えになります。

しかし当時は巨大な石を積み上げ、その上に巨大な木造建築を載せています。

しかも石垣は単なる台ではありません。

地形との関係、排水、石の噛み合わせ、背面の土など、さまざまな要素によって成立しています。

城を見るとき、

「天守は木造だから木だけを見る」のではなく、地盤→石垣→柱→梁→屋根までを見る。

これだけでも城の見え方はかなり変わります。


9.なぜ姫路城は400年以上残ったのか

ここで最初の疑問に戻ります。

なぜ姫路城は400年以上残ることができたのでしょうか。

「昔の木材が良かったから」

だけでは説明できません。

いくつもの理由が重なっています。

まず、姫路城は大規模な戦闘によって焼失することがありませんでした。近代の戦災でも主要建築群が失われず、姫路市は「不戦・不焼の城」と紹介しています。

しかし、それだけではありません。

何百年という時間の中で、

屋根
瓦
漆喰
木部
金物
構造部材

を繰り返し点検し、修理してきました。

1956年からは昭和の大修理が行われ、天守群の工事は1964年に完了。

さらに2009年から大天守の保存修理が行われ、2015年に完了しています。

つまり、

「400年以上残っている=400年間何も直していない」ではありません。

むしろ逆です。

壊れる前に調べ、悪くなった部分を修理しながら使い続けてきたから残っている。

ここは住宅にも通じる非常に重要な考え方です。


10.建物の寿命は「何で造るか」だけでは決まらない

住宅でも、

「木造は何年持つ?」

「鉄骨のほうが長持ちする?」

「RCなら100年持つ?」

と聞かれることがあります。

しかし姫路城を見ると、建物の寿命を構造種別だけで語ることには無理があることが分かります。

重要なのは、

雨を入れないこと。

構造部材を腐らせないこと。

異常を早く発見すること。

必要な部分を修理すること。

そして、

それを何世代にもわたって続けること。

姫路城は、その極端な成功例とも言えるでしょう。


11.姫路城から現代住宅が学べること

400年前の城と現代住宅。

まったく違う建築に見えます。

しかし建物を長持ちさせる基本は意外なほど似ています。

水を建物内部に入れない

屋根、外壁、窓まわり。

現代住宅でも雨水侵入は建物の耐久性を大きく左右します。

木材を腐らせない

木材そのものは非常に長い寿命を持つ材料です。

問題になるのは、長期間湿った状態が続くことです。

屋根・外壁を定期的に修繕する

外装材には寿命があります。

しかし外装材を交換・補修することで、内部の構造体を長く守ることができます。

構造体を簡単に捨てない

姫路城の保存修理では、傷んだから建物全部を壊すのではなく、状態を調査しながら必要な部分を修理しています。

これはこれからの住宅にも重要な考え方になるでしょう。


12.姫路城は「400年前の建築」ではなく、400年間続いている建築

姫路城を見ると、

「昔の大工はすごかった」

という感想になります。

それは間違いありません。

これほど巨大で複雑な木造建築を、現代のような重機や電動工具のない時代につくった技術には驚かされます。

しかし、もう一つ忘れてはいけないことがあります。

姫路城を現在まで残したのは、築城した大工だけではありません。

その後400年以上、

瓦を直した人。
漆喰を塗った左官職人。
傷んだ木材を交換した大工。
石垣を調査した技術者。
建物を測量した人。
保存方法を考えてきた人。

そうした多くの人たちの仕事が積み重なって、現在の姫路城があります。

そう考えると、姫路城は、

「400年前につくられた建物」ではなく、「400年以上メンテナンスされ続けている建物」

と言ったほうが正しいのかもしれません。


まとめ|姫路城を見るなら「なぜこの形なのか」を考えてみる

姫路城を建築の視点で見ていくと、その美しい外観の裏側には非常に合理的な考え方が隠れています。

巨大な木造架構。
24mを超える大柱。
連立式天守。
白漆喰総塗籠造り。
石垣。
複雑な屋根。
敵を迷わせる動線計画。
そして400年以上続いてきた保存修理。

どれも単独で存在しているわけではありません。

構造・耐久性・防火・防御・意匠が一体となって姫路城という建築をつくっています。

次に姫路城を見る機会があれば、外観だけでなく、

「この屋根の荷重はどこへ流れているのか」

「なぜここまで漆喰を塗っているのか」

「なぜこんなに天守までの道が複雑なのか」

「この巨大な建物をどうやって修理してきたのか」

そんなことを考えながら歩いてみてください。

お城が歴史的な観光地ではなく、400年以上使い続けられてきた巨大な木造建築として見えてくると思います。

WERKではこれからも、住宅だけでなく、城・歴史的建築・テーマパークなどを「どう造られているのか」という建築・施工の視点から紹介していきます。